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Jのコラム |
今年の1月2日、24年間吸い続けてきた煙草(タバコ)をやめた。 1日に60本も吸ういわゆるヘビー・スモーカーで、起床時、トイレの中、路上で、仕事中さえも吸わずにはいられなかった。
ニコチンが肺に入り込んで血中に溶けていくあの感じがたまらなくよかった。 火をつけるジッポーの音、くゆらす煙、そして指先で燃える火。 なんとなく格好がよくて大人の感じがした。 吸っているといらいらが消え去り、どこかうつろで不安な気持ちが癒される気がした。
ヘビー・スモーカーだった父は67才の時、脳梗塞で死んだ。 仕事柄、ニコチンの免疫システムをも破壊する毒性や麻薬に似た依存性は十分に理解していた。 でも、それらがタバコをやめる理由にはなり得なかった。
何故、やめられたのだろう。 周囲の人からもよく聞かれる。
それはわたしのごく親しい三人の友人がほぼ6ヶ月以内という同時期に禁煙に成功したのを知ったからである。
わたしのみるかぎり、彼らはみなヘビー・スモーカーであったし、タバコなしでは生きていけない連中だと思っていた。 ところが彼らはいとも簡単そうに禁煙に成功したのである。 それまでは、頭の片隅のどこかで、病に伏すまではやめられないと思っていたタバコへの想いが私の中で大きく揺らぎ始めた。
彼らが羨ましかったし、誇りにも思えた。 40才を過ぎてから少しずつ、無意識にも生への執着心らしきものを自分のなかに感じ始めていた。 今、もしタバコをやめられたならあと40年、いや50年健康で長生きできるかもしれない。
なぜやめられないんだ。
自問自答したときに私の選んだ道は一つだった。 まず計画的に仕事が休みで気持ちに余裕のある「正月」を選び、禁煙を実行に移した。 禁煙に成功したときの素晴らしいであろう気持ちを常に想像しながら、体がニコチンを欲しているという意識を消すために、1日に30個以上のガムを2週間以上は噛んだろうか。 つらい時には唇に指を何度も押し付け、吸いまねをして、煙草の味と煙が肺に落ちてゆく感じを想像した。
けれども振り返ると禁煙は思ったよりも楽しかった。 ニコチンの禁断症状であるとされる手の震えや幻覚は起こらず、抑うつ感も感じない。 食べ物は美味しくて、だんだんと体調がよくなっていく。物事に対する決断力は早まり、気力、集中力も増している感じだ。 呼吸が楽になり、大袈裟なようだけれど肺活量さえも増している気がする。まさにいい事ずくめだった。
それから夢の中で何度かタバコを吸い、罪の意識で目覚めては、夢でよかったと苦笑することがあったが、私はどうにかニコチンの毒から無事に開放され自由になれた。
持つべきは友である。
三人の友人に心から感謝している。
追伸: 医学的にタバコを吸うメリットは一つもありません。 また禁煙の実行にあたってのニコチンパッチやニコチンガムなどの代用品の使用はタバコに依存しているということを自分自身に確認させることになり余計に禁煙を難しくさせます。 タバコ1本分のニコチンの血管注射で人は死にいたります。 なぜ吸う必要があるのかをいつも考えていると、タバコに嫌悪感を覚えるようになり、きっとタバコがやめられるでしょう。 平成15年 6月 Jun Hosoya 記 |
江戸川区限定月刊誌 Vino2003.8.15 Vol.9より |
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診察に行き、薬の指示を受ける時、サッと引き出しを引き起用に薬をかきわけ説明してくださいます。 (結構名物) 「良く、こんなにたくさんの中からみわけますよね〜!」とど素人丸出しに質問すると、 「大工さんで例えれば、のみとのこぎりみたいなものだよ。」って。 「ほぉ〜。。。」 (BIA)日本ブライダルコーディネーター 捺稀 じゅんさん書
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江戸川区限定月刊誌 Vino2003.8.15 Vol.9より |
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真作(しんさく)か贋作(がんさく)か
そう、その猫をはじめて見たのは、私がまだ小学生の頃だったろうか。幼き日より猫を飼い、その可愛らしさを十分に承知していたにもかかわらず、その猫をみてかなりの戦慄を覚えたことを今でもはっきりと記憶している。柔らかくて暖かそうで、思わず手をのばして撫でてみたくなるような愛らしい親子の猫の絵だった。今は亡き父(20年前に他界)がその当時でもかなり有名な日本画家”藤田嗣治(つぐじ)”の猫の絵をその当時にしてもかなり高額な金額100万円で手に入れたのだった。そしてそれからというもの、ずっと広い居間のど真ん中にこの親子猫の絵を飾り、日々、家族全員で見ては癒されながら暮していた。 言うならば、わたしたち家族は長きにわたり、この親子猫と喜びも悲しみも共にしてきたのだった。 ことのきっかけはもう随分前になるが、藤田嗣治画文集である〈猫の本)が出版されたことにある。フジタの描いた猫たちが130匹余りも一堂に会したのである。早速、その本を買い求め、恐る恐るページをめくりながら、手元にある自分の絵と比較してみた。ページを開くたびに見たこともない猫達がなんともいえず鮮烈に胸を打ってくる。まさに圧巻だった。
そしてそれから一カ月もたたない頃、偶然にも伊勢丹の新宿店でその猫の絵をメインにした個展が開かれたのである。雨がぐずついて肌寒く、相場つきも悪い日であったが、仕事が休みだったので思い切って出かけてみた。7、8枚の藤田にしてはあまりぱっとしない猫の絵が展示されていた。ただ一枚につき、平均4〜500万の値段はついていたろうか。たいがいの絵は一枚にの絵に猫が一匹しかいないのに、自分の持っている猫の絵は親子なので2匹だし、そしてなにより展示されている絵と比べても、構図が断然いいと私は一人で悦に入り、この絵が本物ならいくらの値がつくだろうと考えながら、知らず知らずのうちに興奮していた。 いてもたってもいられず、日本では最も権威のある東京美術倶楽部に鑑定を依頼した。鑑定料はなんと驚きの5万円だった。真作(ほんもの)であれば、それに加えて鑑定書を発行するための3万円が必要になるという。すでに藤田嗣治本人が亡くなっているせいなのか、理由ははっきりとはわからないが、それにしても鑑定だけで5万円はかなり高い気がした。これで贋作(にせもの)だったら目もあてられない。そして鑑定結果が出るのは2カ月後とのことだった。鑑定結果が出るまでの間は辛抱強い自分もそれなりにいらいらがつのった。それでもこの絵が本物であるという鑑定書付きで親子猫の絵が戻ってきたときには、堂々と美術館に寄付したり、売りたければオークションにもかけられるのである。そしてなによりその素晴らしい絵そのもの自体の存在とその絵が個人の所有物であることを世間に知らしめることができるのである。
鑑定結果のでる日の朝、私は向こうからの電話を待ち切れなり、こちらから電話をした。
”贋作です。”
聞き間違えたかと思い、いま一度聴き直したが答えは同じだった。全身の力が一気に抜け、軽い目まいを覚えたのを今でもはっきりと記憶している。贋作である根拠も鑑定者の名前もシークレットで一切明かされなかった。すぐには理解し得なかったが、要は贋作(にせもの)ではないかもしれないが、間違いなく真作(本物)であるとは認められないので鑑定書は出せないとのことだった。
長い長い間のこと、わたし達家族は居間のど真ん中にかけた”にせもの”の藤田嗣治の絵を見ては感動し、宝物のように崇めてきたのである。それこそ大笑いの種である。もし親父が生きていて、この事を知ったら、どんなにショックを受けただろうと考えると、それからしばらくの間、晴れやかな気分もなくかなり落ち込んでいた。
それから3カ月くらいたった頃、普段は田舎にいてあまり連絡もしないお袋と電話で話す機会があった。言い出しにくかったけれど、藤田の絵についての事の顛末を切り出した。 するとお袋は「画商さんはもしかするとニセモノかもしれないけど、100万でどうですかって、ちゃんと話していたよ。それでもパパがその絵が気に入って買ったんだから、それはそれでいいじゃない。だからもしかしたらニセモノかもしれないなと思っていたのよ。」と。
もし親父が生きていたなら寡黙で純粋な親父の夢をぶち壊したのは贋作の(にせもの)の親子猫の絵ではなく、欲にかられたわたし自身だったのかもしれない。 いま、その親子猫の絵は以前にもまして、なお一層神秘的でやわらかな光を放ちながら、わたしの目の前にある。 written by Jun Hosoya
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江戸川区限定月刊誌 Vino2003.8.15 Vol.9より |
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